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detox そういう性なのさ

おはようございます。

映画館にも行けないので、
スマホかパソコンで、
見逃していた作品を観るという
映画ライフにシフトしてます。


見逃したものや、
あまり心に響かなかった作品は
今後、スマホやパソコンで観ようかな。


ということで、たまたま目に留まった、
1950年代のある作品を鑑賞。


私がまだ生まれていない時代の世界。
和装の人もたくさんいる。


登場人物は、皆個性が強い。
女に興味がないが生家を守りたい男。
経済的に恵まれているが男に目がない女。
そんな両親を持つ娘が、
自分のアイデンティティを探す。


その旅の中で、娘が出会う人達の
何気ない日常会話や声がけ。


今の時代ならどうだろう。
まず両親を、世間は蔑むかもしれない。
娘のことも、経済的に恵まれているのに、
贅沢だ、もっと立派でいるべきだ、と
批判するかもしれない。


劇中は1950年代。少し違う。
身分も今より区別があり、平等ではない。
だから、それぞれの身分なりの言葉はある。


だからこそ、それぞれの性というものを、
受け入れやすかったのかもしれない。


女に興味がない男は、そういう性なのさ。
生家を守るためには、手段を選ばない。
娶った女のことなんて、理解できない。
型にはまって生きていきたいのさ。


男に目がない女は、そういう性なのさ。
すぐに惚れて、奪うこともあるし、
自分で自分の幸せをぶち壊すこともしてしまう。
自由にして生き、何処かで息絶えるのさ。


金持ちも、貧乏も、
自分の出自を否定しない。
他人の出自を否定しない。
それぞれの性分も、否定しない。


そういう性なのさ。
このひとこと。


それを聞いたら、
自分を取り囲むあらゆる人の事が
急に許せる気がしてきました。


お母さんは、そういう性なのさ。
お父さんは、そういう性なのさ。
会社の人たちも、そういう性なのさ。
我が子も、そういう性なのさ。


私が考えることではない。
私は、私自身を軸に、どう接するかを考えればよい。


あるべき姿、なって欲しい姿、期待、
それは私が勝手に押し付けていた幻想。
逆に、人に言われることも、人の幻想。
同調圧力もあるから、人数に関係なく、幻想。


目の前が、パアと明るくなる。
同時に、懐かしい気持ちになる。
小さい頃いた、大祖父母を思い出す。


心底歪み合う世界とはさよなら。
病気になるほど自分を責めるのもさよなら。
みんなそれぞれの性で生きている。
認めたら、みんな楽になる。


御先祖様か、大いなる存在か、自分。
誰かが、観せてくれたデトックス映画作品。


とってもデトックスになりました。

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